佳子KACO (解毒研究家 健康ホステス ゆる芸者佳し緒 よっちゃん)

身体のケアの仕事を始めて25年(?もっとかな?)ちかくなりました。
想えば子供のころから肩もみが好きで、ツボの位置を自然に体で覚えてしまいました。
手の反射区を13歳のときに独学で勉強したり。

栄養士、調理師免許を取得後、20歳の記念にバックパッカーで一人旅を始める。
1年でオーストラリア1周した後、バリ、シンガポールからマレー シア、タイまでは
ジャングルトレインで移動。香港、台湾経由で帰国。

タイでタイ古式マッサージに出会う。
その後、タイ チェンマイのオールドメディスンホスピタルで
タイ古式マッサージを学ぶ。修了課程(1993年)

エジプト、ギリシャ、トルコ、UK,アメリカ、ジャマイカ、韓国など、
5年近くフリーターをやりながらの旅の最後にインドに行く。
運よく、マザーテレサにお逢いでき、ボランティアで訪れた
「死を待つ人々の家」で衝撃を受ける。(1994年)

若石健康法(世界にネットワークを持つ足部反射法)を広める日本本部に勤務。
中目黒 若石センター。台湾で若石健康指導員の専業訓練過程修了(1995年)
二万人の足を揉むと名人になれる!という言葉をひたすら信じ、目指す。

持病のアトピーが悪化し、独立。(手足温浴ゆとりろ 1997年~)
身体の中の老廃物を取り除く解毒を徹底的にしてほぼ完治。
断食、足、砂療法、温熱、瞑想、ヨガ、食事療法など。

リンパ整体、吸い玉療法、ごしんじょう療法、楽健法、食養手当て
北京鍼灸大学病院での研修、解剖学、血液循環法(初級)、
耳の反射学、北京式足部反射法、免疫学講座、望診法、温灸、
タッチフォーヘルス修了、磯谷療法(入門)、ヴィパッサナー瞑想、
温熱療法、テルミー、レイキ、操体法、快療法、フルフィルメント瞑想
ストレッチ、笠原式テーピング法、LET、頭蓋仙骨療法、ユニバーサルアプローチ、
ABH、マジカルヒプノ、マインドブロックバスターなどを学ぶ。

2007年サイババにあいに、シルディ村、プッタパルティを訪れる。
見えないものの大事なことを、体験する。

2008年11月、今まで紹介制で看板がなかった中野の店を改装し、
ゆとりろんと改名 「手当て+かふぇ」 として新規オープン。

今まで勉強してきた足の反射法を基本に、
様々な療法を組み合わせてのオーダーメイドのケアを始める。

東城先生の食事療法、手当て法、瓜生先生の快療法も学びプラスして
自分の体は自分で守るお手伝いをしています。

また2014年春に歩き遍路!四国巡礼八十八霊場も体験しました。
日本にたくさんある素晴らしい事を伝えていきます。

お氣軽にお茶を飲みながら、いろいろアドバイスができたらいいな~と思ってます。
また様々な分野でのスペシャリストをお呼びして、皆様と共に学んでいく。
そんな楽しい癒しの場所を提供していきます。

お会いできるのを楽しみにしています。お氣軽にお越しください。

どうぞよろしくお願いいたします。
                          
  健康ホステス  佳生(よしお)こと山口佳子KACO(宇津木)ただいま独身。 

店長 やまちゃん  

パワー梅干しや、おやきなどやまちゃんのおふくろ!?の味をお楽しみください。
手当て法やお悩みも相談してみると、小江戸っ子節でなにかすっきりするかも。
吸い玉や整体も受付てます~(予約優先)
マインドブロックバスターでもあります。得意なのは、臓器との対話!

伊藤家の食卓 伊藤ママ

KACOちゃんと、長いお付き合いになりました~
もともとは、足もみにきてくださっていたお客様。17年くらいのお付き合い。すっかり体質改善し、オリジナル料理に励む、3児、2孫の肝っ玉おかあさん!お料理の奥深さを教えていただいています。




 
 
ゆとりろん 店長の山ちゃん(山口嘉一)が3月20日天に旅立ちました。川越からゆとりろん2階に引っ越しして4年、近くにいてケンカしながらも一緒の時間を過ごせて幸せでした。
突然のことに、戸惑う方もいらっしゃると思います。ここにご報告させていただきます。

3年前、腎臓に腫瘍がみつかり手当て養生していました。体調すこぶるよくなり治ったーと言っていましたが、調べるとさらに大きくなっていて。。2年前に主治医から手術を勧められ、大きな病院で再度検査する際、CT造影剤でアナフィラキシーを起こしてそのまま緊急入院。四日で血圧も戻り退院できましたが、そのあたりからダメージをうけたようでした。手術、治療、ワクチンを一切断り、毎日の温熱、足もみ、こんにゃく湿布、手当てや体操に励み、更に養生していました。ジムのTACに毎日通い普通に暮らしていました。毎晩一杯ひっかけていましたし。(←これがわるかった!?)疲れやだるさは口にしていましたが、肌艶もよく毎日規則正しい生活していました。

ところが昨年寒くなったあたりから、急激に体調悪くなり、年末にゆとりろんから2分駅寄りの陽当りよい部屋を借りて療養していました。介護申請や在宅診療の手続きして年を越せるか、の状況からよくガンバっていました。2月は土曜日店にも出ていましたし、2月25日73歳の誕生日も迎えられ、そして私の誕生日3月19日も辛い中、おちょこのビールを美味い!と家族5人で乾杯しました。最期までしっかりしていたのが山ちゃんの底力。食べなくなりかなり痩せてはいましたが、浮腫も痛みもなくよく穏やかに寝ていたのが救い。自分なりに体操もしたりして、床ずれもないきれいな身体でした。
20日夕方に熱が出て、22時35分ずっと側にいて腕の中で看取ることができました。山ちゃんが大好きなみっちゃん、たかちゃんもいてくれて、心強かったです。
12月に私が看取る!と覚悟を決めてから、看取り士の勉強をこの機にしていて、ものすごくよい学びであり、支えとなっていました。
悲しくて寂しくてたまりませんが、半年いやこの3年、良いと思うことすべてやりました。山口との対話もたくさんできて、今までの非礼を詫び、お礼も伝えられました。入院をさせなかったことは、毎日いつでも会いたかったから、足もみをしたかったから。それがもしかしたら死期を早めてしまったかもしれない、と後悔がないわけではありません。しかし、すべてのタイミングが合い『良かった』という言葉しかなく、、山ちゃんのあちらの世界への誕生をお祝いしたい氣持ちになっています。30年ほどのご縁深き山口嘉一の最期を見届けられました。死は究極の悟りであり快である。なぜかそんな言葉がおりてきます。
来週の家族葬にむけて所沢に安置されています。
ゆとりろんは、山口と私のこどものような大事な存在で、命のバトンをしっかり受け取りましたから。山口亡き後も続けていこうと思っています。これからもよろしくお願いいたします。生前たくさんの皆様によくしていただきました。ありがとうございます。心より感謝しています。