これからは外ではなく、私のなかに星をみつけるでしょう
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星レター
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去年の暮れに電子書籍として出版を予定しておりました「#ほしでん」ですが、執筆するなかで考えが徐々に変わり、流通には乗せずwebサイトにて誰もが無料で読める形に変更いたしました。星の伝書鳩のwebサイトにありますので禁無断転載となります。恐れ入りますが個人利用の範囲内でご覧くださいませ。リンクは自由に貼っていただけます。
文字数の制約がなくなりましたので、当時ツイッターに掲載していたものに加筆修正をいたしました。いま再び活字にしても良いと思えるものだけを500以上のほしでんの中から100個選び、新たに書き下ろしています。2016年から2017年にかけての星の巡りから紡いだ言葉を、必要と感じる方とご一緒に分かち合えたらうれしいです。
書籍化をお待ち下さった皆様には提供媒体が変わることでご迷惑をお掛けすることをお詫びいたします。より多くの皆様に気軽にお楽しみいただけるよう、作業工程を見直した結果であることをご理解くださいませ。それでは必要とされる方にくまなく届きますように!
■コラム1
#ほしでん001~010までの星回りは、水星が逆行から順行に転じた期間でした。火星と天王星の影響も強い時期であり、新機軸を打ち出した方も多かったと思われます。まだロールモデルが存在しない新しい道を自ら切り拓いていかなくてはならないという、自負にも似たものが芽生えた時期だったように思います。
001、解放するとき。
自分で作り出した囚われから解放する。特定の条件がないと幸せと思えないなら、楽園は現れてもまた消えるだろう。解放とは変化を祝福できること。そのとき楽園は幻から現実に変わる。
002、見いだすとき。
本音と建前の距離。理想と現実のギャップ。仮面と素顔の隙間・・・。それらの空間にこそ道は現れる。恐れや不安はもう要らない。逃げ道を真実の道にするのは自分次第。
003、染み込むとき。
スポンジに水が染み込むように、いつだって必要な場所に必要な滋養が注がれている。それは私のたましいが待ち望んでいたこと。私らしい生き方を得るために。もっと自由になるために。
004、再構築するとき。
更地が現れたということは、新しい世界を再構築する機会を与えられたということ。物事の未来は私の手で改変が可能なのだ。それはとても創造的なこと。
005、結ばれるとき。
今しかないんだと必死に追いかけ掻き集めたものは、残念ながら身にならない。良きタイミングは追いかけずとも向こうからやってくる。そうして私は最善のものと結ばれてゆく。
006、拓けるとき。
角を曲がって迎えるのは愛すべき世界。混沌と調和が絶妙なバランスで同居する世界。だからこそ私はこの世界で遊べるのだ。混沌に留まることもなく、調和を目指す必要もなく。
007、差し掛かるとき。
曲がり角に差し掛かる。角の向こうはまだ見えないけれど、そんなことは取るに足らないこと。私が私である限り、道はいつでも私にふさわしい道。
008、明確にするとき。
強さも自信も成長も、すべて後からついてくる。大切なのはそれらを目標にしないこと。私は与えられた環境を味わうだけ。それがいちばんの近道になり最大限の結果をもたらす。
009、引き戻すとき。
未来を楽観したり悲観できるのは自分だけに与えられた特権。物事の意味づけをできるのも自分だけ。ならば夢のある意味づけを。人生を自らの手元へ引き戻すために。
010、見定めるとき。
自分の目で見たものだけを信じたい。誰かの言った言葉やどこかで囁かれている話が本当とは限らないから。信頼できるのは私という知覚が五感と六感で捉えたものだけ。